予感の手触り

感想の掃き溜め

廻るピングドラム 21話


輪るピングドラム21話:背景事情が明らかになってきた!思想の違いから離散する高倉家。そしてその絆を基礎に生きてきた陽毬は、自分のために命を「消費する」冠葉を止めるため、高倉家を後にする。他方昌馬は、高倉家の「運命」を一人で背負う苦しみにしばらく耐えなければならない。

自分の命を「消費して」陽毬を救おうとする冠葉は、そのままでは最終的に「ポイされる」ことになる。おそらく陽毬もそれに気づいていて、今まではそれで良しとする描写もあったが、今回は「冠葉を止める」という決断をする。

その決断をした理由として?自分の存在理由たる「高倉家」が崩壊したので、自分の方を向いている冠葉をさしあたり頼ることにした(消極)、?自分の命を救うため、自らの命を「消費した」冠葉に報いる意思を新たにした(積極)、というシナリオがあり得る。

病院における眞悧との会話から、?の生き方を陽毬は「空しい」ものとして捉えているので、(1)?はあり得ず、?という理由から陽毬は冠葉の救済を決断したか、あるいは(2)自分の命を救うために多大な対価を払っている冠葉の現実を知って、考え方が変わった、という二つの可能性がある。

ただ気になるのは、決断の目的を陽毬が「冠葉を止める」ことにある、と明言して、決して「冠葉を運命の人とする」とは言っていないことだ。つまり、陽毬が冠葉に寄り添うのは「冠葉が暴走をしない限りにおいて」である。すなわち、冠葉は究極的には陽毬と両想いになれない(「何者にもなれない」)。

他方、昌馬の方に目を向けると、高倉家の「呪い」を「道徳主義」という方法で受け止める試みに完全に失敗している。「合理主義」を採用する冠葉には「お前は陽毬を救えない」と言われ、さらに陽毬には、「呪い」(罪)を分け合うことを拒否された(ペンギンがバームクーヘンを差し出す場面が象徴)。

そんな昌馬が「陽毬を救う」目的に固執するのであれば、その方法は、「運命を乗り換える」しかない。そのためにはピングドラムが必要だ。そして、ピングドラムの情報を得るにはプリクリ様に会わねばならないので、必然的に陽毬と接触することになる。それはすなわち冠葉と相対するということだ。

こう考えてくるとやはり昌馬の気持ちがこの作品の肝だ。
あと、眞悧とプリクリ様(恐らく桃果)との対立構造がはっきり示されたね。眞悧は「歪みを孕む運命論的構造をぶち壊し、再生する」という方法を採用し、プリクリ様は、少なくともそれには反対している。

ピンドラのアイキャッチで、路線が枝分かれしてるところは「運命の乗り換え」があった、という仮説。要検証。