予感の手触り

感想の掃き溜め

20210919-24_道東旅行:6日目

帯広の民宿で、明日実家に帰ろうと決めた翌朝。


早朝に起きると民宿のおじさんが朝食を作ってくれていた。何が出たかは忘れたがごく一般的な農家の朝食という印象だけが残っている。おまけに猟で仕留めたというエゾシカのジャーキーをもらう。
おじさんと話しているとちょこちょこ「外資系企業は大変ですね」という話をしてくる。
昨日、何の仕事をしているか問われた時にはざっくり「金融機関です」と答えただけで社名は出していなかったのだが、なぜか外資系と断定してくる(実際には全く違うのだけど)。
恐らく私の名前で昨晩ネット検索したのだろう。少し違和感を覚える。
その後、今日は実家に寄って札幌に泊まるという予定を話していると、昨晩話した父親の自己破産の話になる。
実家は自営業で、家の一階部分が店舗になっており、そこに什器が置かれている構造になっている。事業としては一般的なものではない(私の小さな故郷では数店舗程度しか同じ業態がない)。
おじさんから「家財を売り払うなら欲しい人はいくらでもいそうですけどね」というようなことを言われ、なぜだか少々苛ついた。門外漢のお前に何がわかるんだ、その視野の狭さで他人の家の価値を軽々に断ずるなというのが一番近い気持ちかもしれない。一方で、私自身は実家や父親が価値を持った存在とは全く思っていなかったので、彼の発言に心が毛羽立つ自分にも少し驚く。

エゾシカ肉や彼の栽培する農作物を買うよう迂遠な営業を受けたこともあり、居心地が悪くなって、朝食を半分くらい残して宿を出た。高速道路に乗る。

3時間程度で故郷付近に着く。住んでいたのは高校までで、当時は車に乗っていなかったので運転中も道を覚えていたりはしない。道中にあったと思われる中学校の友達の実家も無くなっていたようだった。

実家に到着して店舗前のスペース(とはいっても半分道路なのだが)に車を止める。自己破産手続中で売却を進めているため既に誰も住んでいない。店舗の入り口には、母親の筆跡で廃業のお知らせが貼られていた。特に何も思わなかった。
店舗の入り口は当然施錠されているので、家の玄関に移る。こちらも当然ながら鍵がかかっている。幼少期の記憶を思い起こし、よく深夜に帰ってきて施錠されている際には玄関横の窓から家に入っていたことを思い出す。開いたので壁をよじ登って家の中に入る。

母親が家を出る際にある程度の不用品は整理し処分していたと聞いていたのだが、家の中はわずかに生活用品が残置されていた。箸やら酒瓶やらその他雑品をまとめた段ボールが目に入る。想像以上に家の中は暗かった。
1階奥の和室に入ると、窓にブルーシートが張られていた。端がひらひらと揺れていたので何だろうと思うと、窓ガラスが割れて外気が入ってきているのだった。隣地の雪が除雪されず実家の窓を圧迫して割れたようだ。
2階に上がる。父親が収集したがらくたが溢れている。観葉植物は全て枯れていた。父親の所有物の量がかなり多かったので、母親はこれらに手を付けずに去ったのだなと思った。かつての自分の部屋は割と綺麗に片づけられていた。高校時代にヒビを入れてしまった窓がそのままだった。
父親の部屋に入る。安物の焼酎の空ボトルがたくさんあった。父親の仕事用の部屋を眺めると、ノートが数冊あった。開業当初に書いたと思われる経営の教訓(といっても、「お客様のためを想う」とかその程度のことだ)がまとめられていた。数冊のノートにはびっしり父親の文字が並んでいた。ここまでよく父親の部屋の様子を見るのは初めてだった。
1階に降りる。階段と居間を繋ぐドアの一部が破壊されている。このドアには鍵をかけることができ、居間の方からしか施錠できないのだが、ヒステリックな母親はよくこのドアに鍵をかって籠城していた。キレ散らかした私やその他家族はドアを破壊して鍵を開けていた。その名残が修繕されずに今までそのままになっている。
15分位滞在しただろうか。私の家は自己破産の手続に入る前に、もうとっくのとうに死んでしまっていたのだなと感じられた。特に悲しさはなくて、事実としてそう認識せられた。

侵入した時と同様に、玄関横の窓から外に出た。隣家の住人(父親。幼少期はたまに遊んでもらっていた)が倉庫の掃除をしていた。幸いこちらには、私がかつてここに住んでいたこと、そして不法侵入をはたらいたことにすら気づいていないようだったので、逃げるように車に乗り込んだ、というか本当の意味で逃げた。

急いで車を出したので目的地もなく漂っていたのだが、トイレに行きたかったので少し離れた大型スーパーを目指す。
到着後まず用を足し、地方のスーパーの品ぞろえや什器配置を眺めるのが好きなので店内を一通り回る。生鮮食品のコーナーには刺身、寿司、肉類が割と豊富に取り揃えられていた。赤みを帯びた生肉と、既に(私が思っていた以上に早期に)死骸となっていた実家、及び家族とを対比して、その死の到来をはじめて実感した。

父親の車に乗って3つくらい先の隣町の大型スーパーに行くのが小さい頃の楽しみだった。ナビに頼らず、記憶を辿って当時の道をなぞってみたいと思った。
町内で早速道を間違える。正しいルートをなんとか思い出して2つ先の隣町までは到着することが出来たが、その先は全く思い出せなくなっていた。おとなしくナビに「札幌駅」と入力し、幹線道路を通って目的地に到着して、しまった。運転時間は想像以上に短く、あれこんなに近かったっけ、と拍子抜けした。

札幌では特に遊ばずに、夕方チェーンのお寿司だけ食べて翌日の便で帰った。
2021年12月になって自己破産手続と、その一環で実家の売却が完了した。買い手がなかなかつかず、隣地所有者が実家の土地建物を買ったらしい。わずか40万円だった。管財人の費用50万円に充当されたと弁護士から聞いた。この家は私が生まれた頃から存在するが、その30数年の生活が、既に死骸となっていたにせよたった40万円なんだ、と思った。
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