予感の手触り

感想の掃き溜め

20210919-24_道東旅行:3日目

3日目は最も長距離の根室~網走を走るので早朝に出発。


初日に見た釧路湿原は、今までの人生で見たことない景色で、それは私が湿原のような特性を備える地形に接したことがなかったからだった。
標高が低く(海抜はほぼ0mであろう)水が頻繁に流れ込んでくるために土中の水分量が多く、地盤は緩い。そのためか背の高い樹木はまばらで、視界は大きく開けている。
3日目前半には春国岱、走古丹、野付半島と、道東沿岸をなぞるように湿原地帯を歩いた。

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太平洋に面しているという頭もあり、また前日夜に地震があったこともあり、「ここで津波が起きたら死ぬな」という思いが頭をよぎる。
これは東日本大震災を経験しているからなのかは、よくわからない。
どちらかというと、視界は開けているけれども今歩いている道が地平線まで続き、その先がよくわからない不安感が悪い想像を招いているような気もする。
霧多布岬で感じた時と同様、私はどうやら同じ先の見えなさであっても、視覚的に寄る辺ない光景だと不安を感じ、一方で森が鬱蒼と茂る山道であれば好奇心を喚起される人間だということがわかった。
視界が開けていると景色がほぼ変わらず単に飽きるというのもあるかもしれない。森だと局所的な変化が断続的に生じるので数歩歩けば景色が変わる。
視覚的変化に敏感と言えば聞こえは良いが、単に動物的反応をしているだけだろう。
野付半島を途中まで歩いて、足場が掬われそうな海岸で網漁のロープの確からしさに安心した後、先が見えないので引き返した。津波にはまだ怯えている。

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野付半島を後にし、知床半島まで休みなく走った。
知床五湖の散策路を歩く。熊に遭遇した場合の対処法をフィールドハウス職員から教わる。昨日、散策路のすぐ横で熊の糞が発見されたらしく、随時音を出して熊を退ける必要性を力説される。
高校時代、一度だけ熊に遭遇しかけたことがある。北海道最高峰の旭岳を夏合宿で登る。下山時、実際に目視はしていなかったが、獣臭さを感じ顧問の顔を見ると、普段はおちゃらけた彼の顔が引きつっていた。
登山口に到着する数時間、あの時ほど死ぬことを鮮明に想像したことは今までない。私の祖母の家は、三毛別羆事件の現場のすぐそばだが、Wikiで詳細を調べてしまったことが想像力を逞しくしていた。
五湖を散策する際はその恐怖心、というか想像力は当時より衰えていたが緊張感はまだある。とはいえ、同じスロットに参加する中国人の団体に寄生しても全く楽しさはないので、一人ずんずん進む。10秒に1回くらい手をパン!と叩いた。特に獣の臭いは感じなかった。
散策路1週はおよそ1時間程度だが、緊張感をもって歩いていたのは最初の20分位で、その後はなぜか熊と遭遇する恐怖はなくなっていた。大きい音を出すための柏手の仕方は上手くなっていた。
森の木々の隙間から湖が見える。それが5回程度繰り返される。その都度、何かが現れる予感がし、それが実現するのが気持ち良い。

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散策路の最後は、架台で底上げされた木造の遊歩道のようになる。一部湿原となっている一体が広く眺められる。
植生分布から、かつてそこに水があったことがわかる。雑草が揺れることで風の動きが視覚化される。直接的な仕方より間接的な仕方の認知に興味を惹かれる。これは森の中で動物の痕跡を見つけて、動物そのものの将来行動を感じることと同じなのではないかと思う。遊歩道は一往復した。

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再度海岸線を走り網走に着く。海岸線の車中は恐怖を感じる暇がない。
晩御飯は地元の名店でお寿司を食べた。蟹の外子と内子が美味しかった。夜に胃が痛くなり始め、寝付くのが遅くなる。