予感の手触り

感想の掃き溜め

サカナクション山口一郎さんのInsta liveを見ての雑感

サカナクションの山口一郎さんがInsta liveを結構やっておられて、ここ3か月は強制在宅勤務でPCの前にずっといるので時間が合えば見るようにしている。
www.instagram.com


昨日6/6(土)も23時ころからliveをやっておられて私は24時ちょっと前から見始めたのだが、結局3時頃?までやっていたのではなかろうか。
前半は21時からYoutubeでやっていたライブ配信の解説で、そのパートはあまり見れなかったのだけれども、24時くらいからは視聴者(一般人です)とつないで5分間の質疑応答をするというものであった。
そこでなされた一つの質問を取り巻く視聴者の反応に思うところがあったので記しておくことにする。
(どちらかというと感傷に近いので「雑感」カテゴリを設定して、そのような心持をごちゃまぜにぶち込んでおくことにした。)


質問をした視聴者はもう7-8年前からサカナクションを愛聴しているというコアなファンで、おそらく質問を準備していたのであろう、割と時間をかけて自分のサカナクション遍歴を説明していた。
私は全然知らなかったが山口さんのブログを読み漁っていたと仰っておりました。
sakanaction.blogspot.com
山口さんの旧ブログ「テクノクション語録」は、Yahoo!ブログの閉鎖に伴って見れなくなってしまったようだが、以下にアーカイブのようなものを見つけた。
methyldopa57.rssing.com
あと非公式ファンサイトなるものがあるようで情報量に驚愕した。
サカナクション非公式ファンサイト -魚拓-

本論からずれたので戻すと、そのコアなファンからの質問は、ざっくり言うと「昔の楽曲は孤高な山口一郎の思いから作られていたものが多かったが、最近は大衆に向けた曲が多いように感じる。いつかまた孤高な山口一郎として曲を書くことがあるのか。」というものであった。
これは結構痛烈な質問だ。つまりは「昔の極めて個人的な思いに立脚した良い曲作りをしていたのに、今はマス向けを意識しすぎて方向性が間違っているのではないのか」と突き付けている。良い質問だと思った。
(ちなみにこの質問に至るまで、質問者の方はかなり丁寧に自分がコアなファンであることを説明しており、また言葉遣いも極めて配慮のあるものだったので、不躾という印象は全く持たなかった。)

ここからが個人的にあまり理解できない流れだったのだが、この質問に対して「この質問嫌い」「攻めすぎ」というような否定的な反応がいくつか見られた。
この反応はどういう心理からもたらされたものなのだろうか?


それを考える前に、私がなぜこの質問を良い質問と思ったのかもう少し考えてみたいと思う。
私はそこまでコアな音楽ファンではなく、音楽聞く媒体はSpotifyがメインで(YoutubeはMV見たい時に使うくらい)、プレミアム会員として課金している程度だ。
コアな音楽ファンのように貪欲に新曲を聞くことはほぼなく、たまーに"Made for [私]"を聞いて気に入ったアーティストの曲があれば個別に深堀するくらい。
なお一番好きなアーティストは18-19歳の頃に聞いたゆらゆら帝国と、解散後はそのボーカルである坂本慎太郎さんの曲をずっと(もうほんとにひたすらずっと)聴いている。
サカナクションアルクアラウンドのMVが話題になった頃からポツポツと聞いている(ただアルバムは発売する度に毎回ちゃんと聞いている)。私も北海道出身なので同郷という思いが影響していることもある。
従って、人口の大半を占める流行曲しか聞かないような人や、他方かなりレアな音楽全般に造詣の深い方々とは異なる音楽遍歴となっている。

私が音楽を聴くときに重視するポイントは、勿論音自体が格好いいことは勿論(ただ、これも、いわゆる「男らしい」とかそういうものではなく、いかに新しい視点で新鮮な気持ちを抱かせてくれるかで選んでいる。大学時代はBack Hornとか浅井健一とか聞いている友人が多かったが、そういうわかりやすい格好良さとは違う)、それとともに歌詞で展開される価値観にある。
例えば上記で上げた坂本慎太郎さんは、この(コロナウイルスで一時的に減速しているとはいっても)資本主義社会が隆盛を誇る現在の気分をかなり的確に捉えていると感じる。
それは単なる時代性というものだけではなく、それに加えて社会と接続する個人の感情・感覚の方から説き起こす形で歌詞に落とし込んでいるところに妙を感じる。
その証拠に、坂本さんの歌詞は、その文字だけを追うと理解できないということがない。
私は音楽を、この複雑な世界を理解する一つのツールとして使っている。

小説や芸術一般の、作者と作品との間の一体性の議論は別にして、音楽は割と作詞作曲した人の思想信条が表に現れる気がするので、
上記の観点から重要なのは作詞者・作曲者がどのような人となりなのか、という点にある。
(その意味でInsta liveで山口さんが「これからはアーティストの人格が重要になる」という発言には、個人的には同意。ただ世間一般がそうなるかはよくわからない。)
ここで質問の話に戻ると、その内容は、かつて個人的な感情から生まれた曲を作れたはずの人が、何等かの理由で大衆向けにならざるを得ない事情が今あり、それが再度源流に戻れるのか、ということを問うている。
ここからは推測が混じるが、「大衆向けになってしまっている」という指摘の背景には、「必ずしも自分の心に正直な曲作りをしていないのではないか」という疑心があるように感じられた。
上記を踏まえて質問をアーティスト側に引き付けて噛み砕いてみると、「一旦大衆のウケ(=経済性)を意識して自分と離れた曲作りをしてしまうと、果たしてその後自分の感情から湧き出るものを曲にすることはできなくなってしまうのか」という、禁忌を犯した人が普通の生活に戻れるのかのような話なのだと思われる。
これは音楽家だけではなく、製作者一般に妥当する問題であろう(別記事で書いた「聖なるもの」も一部この主題に触れていると理解している)。
この質問を良い質問と言ったのは、製作者の葛藤を問う本質的な質問と思ったからだ。そこに、曲の良さを構成する作者の思想信条が現れる。


では、この質問に対して「この質問嫌い」「攻めすぎ」という反応を示した人の心理を考えてみたい。言い訳するようで恐縮だが、私自身は左記のような思いを持つことは全くなかったので、以下記載するのは全く的外れである可能性もあるだろう。
上記質問に否定的な反応をする方々は、恐らくアーティストの抱えるこのような(経済的)苦悩というものは、美しい楽曲を汚すノイズとして捉えているのではなかろうか。
純朴かつ潔癖な人たちとも言える。あるいは、人の深層心理に切り込むことを失礼と捉える人たち。

まず後者の点については、勿論各人の非常なパーソナルな領域は重視すべきものであるし、何の配慮もなく土足で踏み込んで良いものではないので、個人的な葛藤を無暗に掘り下げることは失礼になり得ることには同意する。
他方、本質的な人間関係構築のためには互いの心裡に踏み込むことは必要不可欠であり、その対象にはアーティストも勿論含まれる。(接点の確保が難しいという問題から従前は関係構築の対象になりにくい状況はあったものの、今は状況が変わりつつある)
作品をよりよく理解するためには、時にアーティストの葛藤に切り込む勇気が必要になるし、よりメタな問題として、他者との関係を深めるためにはパーソナルな問題を敢えて質す局面も乗り越えねばならない。
深層心理に踏み込むこと自体が悪なのではなく、相手を尊重しないままにそれを踏みにじることが悪なのだと思われる。
大半の日本人は集団の和を貴ぶので、アサーティブな振る舞いは、思考停止している大衆からはあまり理解を得られないということもあろう。
しかしながら本当のコミュニケーションを志向するのであれば、衝突をあえて選択するということも必要である。

前者の点について、アーティストも生活があるので経済的に成立する音楽活動をしなければいけないのは当然である。
理性あるリスナーであれば自分の好きな音楽を守るためにも意識的にアーティストに還元している人も多いのではないか。(適切な比喩ではないかもしれないが、イオンに対抗して地元の八百屋さんに営業継続してもらうために敢えて八百屋さんで買うのと理屈は同じだ。)
私も調べるまで知らなかったのだが、音楽サブスクサービス大手のSpotifyで言えば、全体の3割をSpotifyが徴収し、残りをアーティスト毎の再生回数の割合で分配しているようだ。だが総じてアーティストへの還元はかなり少ないという批判も目立つ。
note.com
mochizukisana.com
https://yamamotosho.com/n/n31102b807169

だが(特にライブでは音響設備に拘るサカナクションであればもっと深刻になりそうだが)CD販売がSpotifyの普及で減少し、Spotifyからのリターンもそこまで大きくなく、グッズ他の収入もそこまで大きくないだろうから、経済的に自立して音楽を続けていくことがアーティストにとって極めて難しい問題であることは想像に難くないだろう。
そのような状況で、リスナーが「アーティストから経済的な話をされると冷める」と言ってしまうのは、あまりに素朴過ぎるのではないかと個人的には思う。
音楽は単なる消費物ではなく、アーティスト自体も一人の人であり生活をしている。そのアーティストと(音楽を迂回してではあるものの)我々リスナーも人間として関係を持つことが求められる(求められてきている)。それにはアーティストに適切に経済的還元を行うことも含まれるし、山口さんのように対面で話す貴重な機会を設けてくれるのであれば、その個人的葛藤を共有することも時には必要である。
それは楽曲のみを取り出して消費する姿勢ではなく、アーティストの取り巻く環境・世界も含めて受け入れることであろうと思う。


ちょっと話は変わるが、山口さんは別のInsta liveで「これからはリスナーとの接点を増やすことが重要になる」というようなことを仰っていた。
それはリスナーを増やす(=収益を増やす)というIR・マーケティング的な側面も勿論あるかとは思うが、制作の面では大衆をインストールして自分に影響を与える契機としているのだろう。
冒頭の質問に対して、山口さんは「いつかまた孤高に曲が作れるようになればいい」と答えていた。
デビュー以前から、自分の感情を音楽に乗せることは達成してきた。またメジャーになってからは(敢えて悪い言い方をすれば)大衆ウケも達成している。
上記の返答を踏まえると、山口さん自身も再度自分の気持ちに正直に楽曲制作ができるか不安に思う心理もあるのだろうと思われる。
自分を深く掘り下げる手法は以前にやってしまっているので、また孤高な制作をできるとすれば自分を変えるしかない。
ただ、音楽業界にいる周囲の人は(多少の出入りはあるだろうが)顔ぶれが変わらないし、音楽的プロは人口の一部を占めるのみであるので、経済的自立を目指すならば大衆との折り合いを同時につけるのも必要になる。
その時に山口さんがとった手法は、とりあえず大衆と触れる、そこで自分に起きた変化をつぶさに観察して新たに楽曲制作に反映させる、ということなのだろう。

ただ、個人的に疑問に思っているのは、果たして一般大衆そのものにそこまで価値があるのか、ということだ。
山口さんはさらに別のInsta liveでリスナーに向かって「皆さんも社会生活のプロなので」というようなことを仰っていたが、プロとして誇りを持って仕事や生活をしている人はどれだけいるのだろう。
かくいう私自身は、別に音楽業界の関係者でもなんでもなく、金融業界の一角にいるごく普通の一般人です。弁護士、コンサル、FA(Financial Advisor)や投資家等、掛け値なしにプロと呼ばれる方々とも仕事をしていますが、自分がそのレベルに達しているとは到底思えません。音楽を仕事にしている方々と自分とを比較すると、そのプロ度には雲泥の差があります。
そのような一般人と接することで制作に有効な影響を与えられる程のコミュニケーションが成功するのか。

ただ、アーティストと同様に一般人の方々もそれぞれの生を生きているのだから、プロ度は別にしてもそれぞれの物語があり、それをつぶさに見ていくことで何らかのポジティブな影響を受け取ることは可能なのかもしれません。
そのためには冒頭の質問に関連して触れたアサーティブなやりとりが、今後山口さんと一般人との間でも必要と感じます。
(そして山口さんは既にそれをご理解されているでしょうから、私が無駄に心配することも無用なのだと思い始めました。)


取り留めない感じになってしまったが、無理矢理着地すると、サカナクションは同郷というのもあり、ライブに行ったりグッズ買ったり応援できることはしていきたいと思っています。
山口さんも色々と考えてくださってありがとうございます。応援しております。
スペシャの微妙さが際立ったNFパンチ、制作陣を変えての復活を期待しております。)
www.youtube.com
www.youtube.com