予感の手触り

感想の掃き溜め

ダージリン急行

ウェス・アンダーソンは結構好きだ。
観た中で一番刺さったのは「ムーンライズ・キングダム」だけど、DVD買おうとしたところ高価だったので、「ダージリン急行」と「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」を買った(アマゾンだと各々千円行かない位でお得です)。
彼の映画文法を復習する気持ちで、まずは「ダージリン急行」を観た。大学時代に一度劇場で見た記憶があるが、そのときは彼特有の描写方法はよくわからなかった。

その後、「ムーンライズ〜」を観たときに「この人は神話構造にこだわってるな」との印象を持って、改めて「ダージリン急行」を観てみると、やはり神話構造に基づいて作品を作っているんだな、と確信。
書くのめんどくさくなってきたが、せっかくなのでおさらいしておく。



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以下頻繁に3兄弟に言及することとなるが、簡単に既述するために
 長男→1
 次男→2
 三男→3
と書くことにしよう。

神話でよくあるのは「3回の試練をクリアすると障害を克服できる」というものだけど、本作で一番わかりやすいのはクジャクの羽を使った儀式だ
(ちなみにクジャクはキリスト「復活」のモチーフ。宮下規久朗『モチーフで読む美術史』参照)。
1回目は列車が迷子になった時、砂漠の丘で。
2回目は、列車から下車させられた後、どこかの岩場で。
3回目は、母親のいるヒマラヤの寺院で。
(最初の停車駅、千牛寺ではクジャクの羽を列車内においてきて儀式自体は行われていないのでカウントしない。)

1回目は列車が発車する汽笛を聞いて儀式は中断され、失敗する。
2回目は教本に載っていた正しい手順を踏まなかったので、失敗。
3回目は母親との会話を済ませた後、たどり着くのに少々苦労する丘で、3人順に踊り、羽に息を吹き込み、その上に石を積み上げることで儀式は成功をおさめることとなる。
儀式後、兄弟は自らの抱える問題を直視して克服する。
具体的には、
 1:助手の病気をからかったことを謝罪、再雇用を打診
 2:妻の妊娠を受け入れ男児出産に備えてベストを購入
 3:(元)彼女とイタリアで会う(という約束をする。実際には行かないかもしれないけど)
共通する問題としては家族問題だが、父親の遺産であるスーツケースを捨てる。母親とは「自由に自分を表現」して禊を終える(ただしこれは母親が「to be continued」と言って消えたことからまだ解決できていないのかもしれない)。

でももしかすると、因果関係は逆かもしれない。
つまり、各人は自分の抱える問題を直視することができるようになり、その問題を解決すべく行動を起こしたことから、儀式に成功したという捉え方だ。
クジャクの儀式は自分の気持ちおよび行動のチェックポイントでしかなく、儀式それ自体が特殊な効果を持つわけではない。
作中の時間軸を考えるとそう捉えた方が良いのかもしれないし、確かに神話儀式の特殊効果に期待するよりも実際に決意・行動したほうがよほど問題対処としては実用的だ。

振り返って考えてみると、3兄弟が各々試練を乗り越えた後にクジャクの儀式を行っていることがわかる。
初期状態としては3人それぞれが薬を服用して「病・問題を抱えているが薬でごまかしているだけの対処療法にとどまっており、根本的解決はなされていない」。互いに不信の状態が病。
その状態を前提として、3はリタとセックスして元彼女がスーツケースに忍び込ませた香水のビンを割る。変化の示唆として、3は最初の停車駅以降は靴を脱ぎ素足である(脱衣は典型的な変化のメタファー)。そしてリタが紅茶を持ってきて下車することを告げタバコに火をつけるとき、マッチは3回目で点火に成功している(3は禊を終えている証明)。
列車が迷子となりクジャクの儀式を行うも失敗。
次、1は2と取っ組み合いの喧嘩をし、助手ブレンダンの先天的脱毛症をからかってしまうことで愛想を尽かされる。しかし母親と会うことに対する気持ちを正直に弟へ話せるようになる。
夜、岩場での儀式は失敗。
次の日、歩いてる最中プリンター(1の旅程表(「管理」のモチーフ)を印刷・具現化する機能を持つ)が壊れて1は禊を終えていることを暗喩。夜には決められたレールを走る列車(これも「管理」のモチーフ)が鳴らす汽笛を「うるさいだけさ」と言っているのも示唆的だ。
そこで川を渡る子供3兄弟の乗るイカダが壊れる場面に遭遇。1と3は既に禊を終えているため生存。でも2はまだ禊を終えていなかった。
依り代として子供次男が死亡。これは沐浴の際に1と3のシャツは赤・ピンクっぽい(=生)のに対し、2のシャツは青っぽい(=死)であることでもわかる。
少年の死と、赤子との触れ合いで禊を済ませる2。父親の葬式の回想が挟まれるが、2の父親に対する思い(自分が息子であること)は相当強いことが描かれる。もしかしたら彼女が妊娠した事実から逃げたことは、自分が父親になることの恐怖があったからかもしれない。自分が父親に抱く思いが強すぎて最終的にその思いは幸せな結末を迎えなかったことから、そのような思いを向けられ、最終的に失望させてしまうこと自体への恐れが芽生えていたか。
空港に到着後、1は従来の完全管理体制から脱し、10分間の自由時間を設け、またブレンダンに再雇用を打診。顔の傷も弟らに公開した。2は彼女に電話をかけ子供が超音波検査で男の子と判明したことを知る。子供のためにベストを買っていたことから父親になることを受容したことが示される。3は彼女の留守電ではなく肉声を聞き、イタリアで会う約束を取り付ける。
一番の問題である母親とはヒマラヤで再会し心の会話を行う。翌日母親は消えるが、これは3兄弟の家族問題に係る禊を終えたことの証明だろう。その証拠にクジャクの儀式は成功する。母親と交わした協定「過去にこだわらず将来を向いて生きること」は守られ続けるだろう。

過去の負債の象徴たる父親のスーツケース群も気持ちよく捨てられ、3兄弟は赤でカラーリングされた列車に飛び乗る。冒頭の列車が青=死であったが、最後には赤=生の列車に乗り込むことは本作全体の構造をまた反映している。



以上思いつくままに書き連ねてしまい読みにくくなってしまった。でもそのくらい緻密かつ頻繁にモチーフが出てきて処理するのが大変なんだよな。
ここに書かなかったけど他にもたくさんあるので全部を書こうとすると書く気が失せてしまう(電源アダプタとか毒蛇とかペッパースプレーとかはわかりやすい)。

ストーリーと小物(モチーフ)的な特色はウェスアンダーソンの得意とするところだが(彼は大学で哲学を専攻していたので確実に意識していると思う)、横のカメラ移動の意味を今度はもう少し考えてみたい。
「過去←→未来」は考えやすいが、「フラットな場を提供する」ことの意味を深く考えられていない。
「ムーンライズ〜」でも同様のカメラ移動があったので絶対意図的だと思います。
これは次の宿題としよう。

乱文すいまへん。推敲もなくアップします。